元朝日新聞記者・植村隆氏の『慰安婦問題「捏造記者」と呼ばれて』

元朝日新聞記者・植村隆氏が『慰安婦問題「捏造記者」と呼ばれて』 と、最近の朝日・慰安婦記事捏造問題にバッシングされていると反論しているそうです。これに対して、クライン孝子さんがメルマガ「クライン孝子の日記」で、バッシングされているのは日本人全体だと再反論しています。以下、転載します。

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(前略)「植村反論」の核心は、次の言葉と思います。
私は本文では、この女性が「だまされて慰安婦にされた」と書いた。 暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた。(p.459)

しかし、私は一度も金学順さんについて、 「強制連行」とは書いていない。(p.475)
そして植村氏は、他紙は、「強制連行」もしくは同意の言葉を使った、
と記し、 (読売1991.12.06夕刊、日経同日夕刊、毎日1991.12.13朝刊、毎日1997.12.16金学順さん訃報記事、等を挙げています)、

不思議なことに「強制連行」と書いていない私が 強制連行があったように書いたとされ、「強制徴用(強制連行)」 と明記した読売新聞などがバッシングする側に回っている。 これはきわめて異常な事態だ。(p.475)

つまり植村氏は、1991年8月11日朝日新聞大阪本社版、 同氏署名記事執筆時点で、 “慰安婦”が、「暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた」 のであり私は一度も金学順さんについて、“強制連行”とは書いていない」。 どうして自分は責められるのか、異常な事態ではないか、というのです。

しかし、これが責められるのです。
というよりも、正にこの一点が、「慰安婦問題」の本質であり、 批判者が朝日新聞並びに植村隆氏を責めている急所なのです。

植村氏はこのようにも書いています。
私の慰安婦報道をめぐる一部メディアの非難は 「文藝春秋」1992年4月号から始まった。 それは、いつの間にか「捏造」とまでエスカレートした。 だからこそ、反証のための手記をまず「文藝春秋」に寄せるべきだと考えた。
私は「捏造記者」ではない。
不当なバッシングに屈する訳にはいかない。(p.482)

植村氏執筆記事は1991年8月11日に発表され、 それに対する批判は1992年文藝春秋誌4月号 (おそらく、西岡力氏『「慰安婦問題」とは何だったのか』を 指していると思います)を嚆矢として始まったのです。“不当なバッシング”は、植村記事発信の7〜8ヶ月後、 現在までの22年を考えればほとんど直後といえる時期に、 始まっているのです。「強制連行」の言葉を使わず、「強制連行ではない」と 思っていた植村氏が、故なき批判の対象にされた。 上記西岡論文は植村氏を「強制連行」と結びつけていませんが、 その後(過程の詳細を私が知ることを出来ません) “報道陣”によって、自分が「強制連行」捏造の発信源のようにまで 祭り上げられていく。
22年。
何故今まで、「反論」しなかったのですか。
「自分は“強制連行”があったとは認識していない、 “強制連行”の言葉を使ったこともない」と言わなかったのですか。

早い時点であなたがそれを言っていれば、 事態はまったく違った推移をしたでしょう。
言わなかったことが「罪」なのです。
繰り返しますが、それが問題の核心なのです。

批判者は、“バッシング”しているのではありません。
濡れ衣を晴らそうとしているのです。
被害者は濡れ衣を着せられた日本人で、あなた方ではありません。
分かりますか?

あなたにも朝日新聞にも、世間の“誤解”を修正する気がなかった。
黙認以上に追認したのです。

(中略)

言論は凶器である故に、振り回したら人を斬ります。
その積りは無くとも斬る。意図なく斬る。
認識なく、斬る。
そんなことは言っていないと言っても、 包丁人には、与えた影響に対しては責任があるのです。

植村元朝日新聞記者を批判している者(多くの日本人)は 自らの無実を証明せんと力を注いでいるのです。
思いっきりバッシングされ、今も世界から叩かれ続けているのは、 私たちの方です。
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プロフィール

ぽんちゃん

Author:ぽんちゃん
20代でエンジニアとしての給与年収1000万円を超え、今はサラリーマンしながら大家もやっています。2007年に結婚して1年間の通い婚/週末婚の後、同居するため2009年に札幌に移住して給料は3分の1になりました(汗)
趣味でFXもやってますが、2009年9月に長男が生まれてからメインの趣味はイクメンです
d(^ー^
札幌在住の40代♂
カミさんはガーデニング会社の女社長で、私より6才年上の年上婚!

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